明石家さんまさんの「生きているだけで丸儲け」の真実

こんにちは! 女子ライフコラムニストの斉藤カオリです。

皆さんは「生きてるだけで丸儲け」って聞いたことはありますか。明石家さんまさんの座右の銘としても有名ですね。

娘さんのいまるさんのお名前も「生きているだけで丸儲け」から付けた、というエピソードも多くの人に知られているところだと思います。

最近、私もこの「生きているだけで丸儲け」をすごく感じるようになって。これから新しい命を誕生させる予定だからかな?(笑)

また、シングルマザーさんを取材していて、さまざまな人生に触れ、いろいろ思うところもあったのも事実です。

命があって、さらに元気ならもう本当に言うことなし。自由に動けて、自分の意志で時間を使えて……さらに家族までいるのなら!

本当に、自分の環境に感謝感謝ですね。

今回、さんまさんの座右の銘が気になっていたので、彼のことをチラッとだけ調べてみたんです。そしたら今まで知らなかったことが出てきました。

皆さんご存知のことかもしれませんが、まとめてみますね。

「生きてるだけで丸儲け」の根本にあるものとは

明石家さんまさんは、「生い立ちを話さない芸人」としても有名で、それは過去に大きな傷を負っているからだと言う人もいます。

実母はさんまさんが3歳のときに亡くなり、継母に育てられました。 継母は実の子で連れ子の弟ばかりを可愛がり、さんまさんのことは完全無視だったとか。

そして、さんまさんはどうにかこの継母に振り向いてもらいたくて、面白いことを考えて日々笑いのことを考えるようになったのですって。

でも、弟さんはさんまさんのことを昔から尊敬していて、そんな弟さんのことをとてもかわいがったようです。

しかし、さんまさんが「オレたちひょうきん族」の冠番組を持つようになった19歳の頃、実家が家事になり、弟さんが亡くなってしまった。

そのときは、芸能界引退を考え、お笑い復帰が難しいくらいにダメージを受けていたといいます。

そのときに一緒に舞台に出たオール巨人さんが、さんまの実家の火事のことをツッコんだ。そして、さんまはきっちりボケられた。

その後の楽屋ではオール巨人に「ありがとう、これで芸人辞めなくてすむわ…」と涙ぐんでオール巨人に感謝したとのことです。


日本航空123便墜落事故をキャンセルし、取り留めた命

さらに、「1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分の日本航空123便墜落事故」。

乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名、この事故で歌手の坂本九をはじめ、多くの著名人がお亡くなりになりました。

この航空機に、本当はさんまさんも乗る予定だったのです。でも、「オレたちひょうきん族」の収録が早く終わり、日本航空123便をキャンセル。一つ前の飛行機に搭乗したのです。

偶然にも、命が助かった。こんな経験から、座右の銘「人生、生きているだけで丸儲け」があるのですね。深いです。


平穏な日々からでも「生かされている感謝」に涙ぐむ瞬間って、ある

ここまでの経験がなくとも、私は、「平穏な日々からでも、生かされている感謝に涙ぐむ瞬間」って、あると思います。

「生きているだけで丸儲け」も、そんな瞬間に感じることが多い気がします。

子どもが何かを成し遂げて「ママ~!」って、とびきりの笑顔で抱きついてきたとき。(例えば「運動会がんばった」とか、身近なことです)

自分の努力してきたコトが実を結んだとき。そのときの達成感をじんわり噛みしめている瞬間。

家族や友人、パートナーに恵まれて「幸せ」に気付いたとき(何でもない瞬間なのだけど、自分の受け取り方次第で)、など。

キレイごとではないけれど、そんな瞬間をじんわり感じられた人は幸せ者だと思います。

そして、これは特別なことでなく、誰でも感じられるものだと思うのです。