「強み」を武器に、
「ライター」という複業に
チャレンジしてみませんか^^
※複業=複数の本業を持つこと。
(副業のような片手間仕事としてではなく、
生業として、別の業種を、
二つ以上兼務すること。)
コトバンクより
女子ライフジャーナリストで
家庭円満☆ライター起業コンサルタントの斉藤カオリです。
私、執筆業を行う前は、
舞台女優をしていて。
根っから「歌う・踊る」が好きだったので、
桐朋学園という大学の演劇科に入り、
舞台女優として、ふらっと舞台へ出演。
もともと表現することが大好きだったので、
この道がマストだと思っていました。
さらに好奇心旺盛な私にとっては、
固定された職場ではなく、
昼夜両方の仕事で、自由に、
さまざまな職種の人間と出会い、
話すことは、
とても楽しかったのです。
しかし、ある出来事があり、
「私もそろそろ堅実な道を行かなければ・・・」
と思い直し、腹をくくりました。
そして、手に職をつけるため、
当時、私のなかでイメージが良かった、
「歯科衛生士」になることを決めたのです。
2年間の専門学校へ通い直して。
① 人体(歯・口腔を除く。)の構造と機能
② 歯・口腔の構造と機能
③ 疾病の成り立ち及び回復過程の促進
④ 歯・口腔の健康と予防に関わる人と社会の仕組み
⑤ 歯科衛生士概論
⑥ 臨床歯科医学
⑦ 歯科予防処置論
⑧ 歯科保健指導論及び歯科診療補助論
が、しかし。
残念なことに。
歯科衛生士がまったく、
合わなかったのです。
というか、
個人歯科医院、という空間が、
まったく合わなかったのです。
いえ、
患者さんの歯石をとること、
虫歯予防の処置をすること、
歯磨き指導をすること・・・・・・、
仕事は楽しかったです。
患者さんが喜んでくれるのは、
張り合いにもなりました。
ただ、、
私のいた歯科医院の
狭くて暗い空間が
ダメでした。
休憩時には絶対外に出て、
青空を見て、
深呼吸をしないと、
死にそうでした。
あと、狭すぎる人間関係と、
鬱屈した人が集まって、
陰口ばかりの人間模様に
ヤラレテいました。
せっかく、
まともに生きられると思ったのに。
やはり、私は、
まともには生きられないのか・・・。
内心、だいぶショックを受けました。
私は、幼少の頃から「手に職つけなさい」と
口を酸っぱくして言われてきました。
某大手企業の取締役の祖父、
けいゆう病院の看護師婦長の祖母、
早稲田大学大学院卒の父、
慶応大学大学院卒の叔父、
中学からフェリス女学院~成城学園大学卒の、
もともと箱入りお嬢の母、
青山学院大学卒のいとこ。
何だか、親族はまともに勉強して、
大学行って、堅実な道へ。
でも私は、全然違う。。。
一大決心をして、
専門学校まで通い、受験して。
ようやく取った「歯科衛生士」なのに。
「合わない」と思ってしまうなんて。。。
やはり、私は、ダメ人間。
そこで、自分で悩みに悩んだ結果、
「書く」という手法を思い出します。
日記は独身時代、
20年間ほぼ毎日つけていました。
悩みの多い私は、
書くことで気持ちをおさめていたのです。
そんなとき、
某企業に勤める知人から、
「うちの会報誌で、
虫歯予防の記事書いてくれない?」
と声をかけてもらいました。
当時、私は他院の
口腔衛生のフリーペーパーを
担当していていて、
知人はそれを知っていたのですね。
「私でいいの~?」と思いましたが、
書くことは本来好きだったので、
すぐにOKして、一記事を書いてみました。
すると、
「すごく反響あったよ~! 良かったよ!」
との報告が。。。
読んだ方の感想で、
「歯磨きの大切さを実感しました。
今までおろそかにしていましたが、
これからは残りの歯を大切にします。
歯科衛生士のかおり先生、
ありがとうございました!」
達筆に書かれた文字の感想をみて、
うれしさが込み上げたのです。
自分の書いた文章で、
人を笑顔にできる。
自分が表現した内容で
人が喜んでくれる。
自分の歯科衛生士の資格が
自分の好きな「書く」ことと
はじめて直結した瞬間でした。
そうして、私は本格的に書きたいと思って、
新聞社主催のライタースクールに、
一年間お世話になり、
執筆業をスタートしたのです。