【「スッキリ!」ハリセンボン近藤春菜さんの発言より】取材をする側の配慮で思うこと

こんにちは!

 

家庭円満ライター起業コンサルタントで、

 

女子ライフジャーナリストの斉藤カオリです。

 

斉藤カオリの〈簡単なプロフィール〉はこちら^^

 

 

昨日、ヤフーニュースに上がっていた、このニュース。

 

 

「ハリセンボン」近藤春菜、

川崎襲撃事件の被害者への報道に声を震わせ
「後ほど答えますっていうことまで言わせてしまう状況がいけない」
(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190529-00000076-sph-soci
 
 
 
 
 
最近ちょくちょく問題になる、マスコミの報道の仕方。
 
やっぱり、、なんでそこまで被害者の方々のコメントが必要なのでしょうか??と、思ってしまいます。
  
親御さんは、辛いに決まっていていますよね。人生で一番辛い心境でしょう。。
 
 
そこに取材陣が「どういうお気持ちですか」のような。
「(亡くなった子は)どんな子だったのでしょうか」のような話は、 いくら「知る権利」がある視聴者だって、「もういいよ」「そっとしてあげて」と思うことでしょう。
 
日テレ「スッキリ!」司会者のハリセンボン春菜さんが、
「(ご親族に)『あとでコメントします』 のようなことは言わせてはいけない」と言われたということですが、本当によく言ってくれました!
 
しかも、日テレ「スッキリ!」で。これは、Yahoo!ニュースにもなっていて、取り上げられて本当に良かったです。
 
でも、正気に戻れば、しごく当たり前の話ですね。
 
「取材をする側」の配慮が足りていないし、もし「自分がされたならば・・・」の基本の思考が停止になっているように思います。
 
いくら仕事とは言え、これはちょっと。ダメダメ!ですよ。これからは本当に変わってほしいと思います。
 
 
 
そして、過去は声をあげられなかった視聴者も、SNSなどで発信が気軽にできるようになり、一人一人の声が届きやすくなりました。
 
日常の出来事で違和感があったり、「これはどうにかならないか」といったことがあれば、ブログでもツイッターでも 
何でも良いので発信することが大切だと思います。
 
「一人一人の声は小さくとも、小さな1になる」
「もっと改善できるような、改善したいようなことがあれば、発信すべきだ」
誰にでも、ジャーナリズムはある。誰もがジャーナリストになれる時代だ」
 
とは、以前お会いしたことのある、元NHKアナウンサーでジャーナリストの堀潤氏が言っていたことです。
 
ジャーナリズム【journalism】とは・・・ 
新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどにより、時事的な問題の報道・解説・批評などを伝達する活動の総称。
(goo辞書より)
 

 

何でも0から1にするのが大切ですよね。それは本当に意義のあることだと感じます。

 
ハリセンボンの春菜さんのように、著名人でもない限り、大きな拡散力はないかもしれません。でも拡散されたり、大勢に伝わるのは、そのあとの話。
 
「明らかにおかしい」と思うことは諦めずにSNSでもなんでも良いので、「わたし」の一人一人が、感じることをきちんと発信することが大切ですよね。
 
発信する声が0から1にするということだと思います。
今は、一人一人が「声を上げること」で、変化していきやすくなりました。昔から考えれば、すごい進化ですよね(今さらながら・・・)
 
お笑いジャーナリストのたかまつななさんも、取材の在り方について意見を述べていたのでご紹介しますね。
↓↓
 
 
今まで(~平成)はアタリマエのようにされていた違和感のあるモノゴトが、少しずつ改善される時代(令和~)になりますように。